日記・コラム・つぶやき

いつもこの時期には降るのですよ

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 当地で必ず雪が降る時期が来ました。

 勤労感謝の日の前後は、ほぼ必ず雪が舞います。冬が近いのだなぁと嫌でも感じる風物詩。
 なれど今年はいささか大げさな感じで、雪が舞うというより「翌日まで雪が少し残りそう」というレベルです。寒気団の派手な南下に、首都圏で降雪というのも納得できるところです。

 それでも当地ではまだまだ根雪になる雰囲気ではありませんけれどもネ。長引いた夏からいきなり秋を通り過ぎようとしているような季節の塩梅でしたから、早めの冬が来ても驚きはしませんw
 野営趣味者だから季節の移ろいに敏感なわけではなく、飲み水を作る仕事をしばらくやっていたことが影響しているように自分では思えます。

 いわゆる浄水場で市民の飲み水を作る仕事をしますと、明日明後日の天気もさることながら、一年単位で季節の移ろいを見る習慣が身につきます。例年対比ですとか昨年対比ですとか。
 季節というものはこういう具合に移行していくのだと学習しないと仕事になりませんで。それが今でも自分に影響している気がします。

 話は変わりまして。

 昨今の宮城福島における津波の避難について。クルマで避難して渋滞を起こしてるのは大震災の学習がない!、というご意見が多いようですが、北国に住まう身からの感覚では、クルマ=暖房空間という認識がありますので、この寒い時期の避難にクルマを選択したことを責めるのはいかがなものかと。
 もちろんクルマがたくさん集まったら渋滞を引き起こしますな。当然のことです。けれど避難先は吹きっさらしの高台だったりするわけで、津波避難はいつ戻れるかわからんくらい待機してなきゃならんでしょ。
 そんな中、暖房無し確定の場所へ避難するためにクルマを使ったというのは、私には否定する気になれません。

 寒い時期にクルマで避難したことと、避難路で渋滞を引き起こしたことは分けて考える必要があると思います。
 例えば高台に暖房完備で温水も使える施設がありますよと周知されていたらどうでしょうか。あるいはセルフサービスだとしても避難先に温かい食べ物がありますよとか。これでも少しは避難者の行動は変わるのではないでしょうか。

 地方はお年寄りが多いというのもクルマ避難の動機になっていると思います。すぐそこに高台があるとは限りませんので。仮にあったとしてもお年寄りの体力で登れるのかどうか。
 都会に住まう方々には、田舎の事情、もしくは北国の生活といったものへの想像力がないのだろうなと今回は感じましたですね。

 そうかと思えば、過去の地震の発生パターンから24日早朝の地震発生を指摘していた方がいたりして、いろんな方がいらっしゃるもんだと感心もしましたですよ。

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普段使いする安全靴

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 普段から安全靴を愛用していますがなにか?w

 安全靴の世界、というものがありましてね。安全靴は現場作業だけで使われるものとは限らず、世の中のあちこちで活躍しているシューズなのです。
 安全靴の進化は、足指の切断を防ぐ鉄のカバーが代名詞なところがあって、靴底にも鉄板が入っていて、全体的に重量が重いものが安全靴みたいなところがあったのですが。
 最近は樹脂の強度が上がりまして、金属製じゃなくても十分に保護の役目が果たせるようになってきました。これで空港のゲートでキンコン鳴る恥ずかしさから解放されるわけですwww

 田舎にはホームセンター、通称ホムセンというDIY系のお店がたくさんあって、安全靴の取り揃えは豊富です。
 現業系の職場における安全対策は日々うるさくなってきており、安全靴の需要が高まっていると見え、アシックスやらなんやら、知られた靴ブランドが参入してきており、安売りイメージのホムセン店頭に1万円を超える安全靴が置かれているのも珍しくはなくなってきてます。

 で、安全靴を普段使いしてる私が、これはヒットだなぁと感じたのが、Heva!というブランド名の靴。Web検索しても製造元はよくわからんのですがw
 最大の特徴が軽量であること。そのへんで売ってるスニーカーよりずっと軽く、陸上競技用シューズに近い軽量さ。そして通気性が良く蒸れない。踵の保護を捨てたおかげで潰し履きがいつでも可能なのに、潰し履きの跡がつきにくい構造。
 現場を管理するために求められる安全靴ではなく、現場で実際に使ってる人が求めているスペックなのですよ。

 ホムセンの安売り価格帯では売られていない商品で、樋口一葉さん登場の価格帯なのですが、それだけの価値は十二分にあります。安全靴を普段使いして10年、Heva!を半年間使い続けた私が証言するのですから間違いありませんw

 安全靴を普段使いしている変態に向けた報告でした。「Heva!」というブランド名に秋田人として惹かれたというのもあります。
 秋田弁で「へば」とは、直訳的には「それでは(○○ということか等)」という意味ですが、よく使われるのは別れの挨拶。「へばっ」「へばな」というのは「またね」という程度の意味合いで、ほぼ定番なんです。

 ちなみに現場では名門シモンの安全靴を愛用しておりますのよ。

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コンビニ飯

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 当直仕事をやってますと、どうしてもコンビニ弁当のお世話になることが増えます。健康診断の結果がよろしくなくなるのは承知していますけれど、自炊放棄者としては仕方ありませんw

 とはいえ、一昔前に比べたらコンビニ弁当は美味しくなりましたね。某チェーン店は大々的にキャンペーンを打ったわりに中身が減って手も抜いてるとか、あるいは某チェーン店は秋田人の舌にいまひとつ合わないですとか、いろいろありますけれども。
 あちこちで買ってますと、当たりとハズレの商品にも詳しくなったりしまして。同じ店でも当たりとハズレはあるのですよ。

 最近注目しているのはローソンのやみつきパスタシリーズ。なんとなく食べたくてナポリタンを買ってみましたら、従来の安直な味とは一味違うんですね。
 続いてミートソースも試してみたら、やはり従来品とは一味違ってて。もしかしたら添付の粉チーズに秘密があったりするのかなぁ、なんて考えてみたりもしましたけど。

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消えていくもの

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 ある雑誌を買いに本屋へ行ったはずが、店から出てきた時には予定外の謎の資料を手にしているのは、久しぶりに本屋へ行ったからなのだろうなぁ、なんて思ったり。

 いえ、実は寺田裕一さんという名に見覚えがありまして。この方、ローカル私鉄を愛しているライターさんだったのでないかと。

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 こういう本が我が家にありましてね。1990年7月に発行されてますので、在京時代末期に購入したのでしょ。
 まだ地方私鉄が個性を放っていた時期の内容で、北東北では南部縦貫鉄道がまだ現役であった頃となれば、ずいぶんと昔のような気がしてしまいます。

 北東北だけでも、津軽鉄道、南部縦貫鉄道、十和田観光電鉄、弘南鉄道、小坂精練小坂鉄道、岩手開発鉄道、栗原電鉄と7社が掲載されてますけれど。
 残っているのは津軽鉄道、弘南鉄道、岩手開発鉄道の3社のみで、弘南は東急のお下がり車両天下、岩手開発鉄道は旅客営業をとっくにやめてて、個性を吐いているのは津軽鉄道くらいのもの。

 鉄道に限ったことではありませんが、古くから当たり前に存在していたものでも、ある日いきなり消えたりするのが世の常。
 なくなってしまう前に撮れるのは写真趣味者の特権のように思えますし、記録として残しておくのは義務なのかもしれませんね。小坂鉄道の資料を見ていてそう感じました。

 それにしても。南国の私鉄はいいですね。沿線風景に個性があって。

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ミッドウェイ その2

 前回はミッドウェイ海戦どころか太平洋戦争開戦劈頭の説明になっちまいましてすいません(^^ゞ

 ようはですね、日本海軍側としては「航空母艦を集中配備した艦隊を攻撃的に運用し、大量の艦載機を攻撃力として使う着想」を真珠湾攻撃で実行に移して、結果を確認したわけです。
 対する米国海軍は、真珠湾で頼みの戦艦群を撃沈もしくは大破されちまったので、手元に残る駒である航空母艦を活用した作戦を企画しなければならなくなった、ということになります。
 つまり、日米お互いに空母機動部隊で海戦を戦うことになっていきます。

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 あ、英国東洋艦隊は戦艦2隻基幹のショボい艦隊は、日本側の基地航空隊(陸上機)の攻撃で壊滅状態。
 たかが戦艦2隻とはいえ、1隻は有力な戦艦でしたからな。まともに対抗できる戦艦を日本側はこの方面に投入しておらず、おそらく夜戦勝負狙いになったとは思いますが、結果的に英国東洋艦隊も航空機によって沈められたのでした。

 細かい話や途中経緯は端折ります。

 真珠湾攻撃以降、米国太平洋艦隊は戦艦を失い航空母艦だけで海戦を戦わざるを得なくなります。工業力に秀でた米国ですから、造船所をフル回転させたらすぐに日本海軍を圧倒できる海軍兵力は揃うので、それを待っていても負けはしないのですけれど。
 このへんが米国なんですね。日本の空母機動部隊がインド洋方面を荒らし回っていた頃、太平洋は日本の海軍勢力が幾分手すきになっていたわけでして、米国としてはなんらかのアクションを日本に対して行いたいところ。

 そこで手元に残った航空母艦を編成して日本側が確保した前進基地を空襲して回ったりしています。ヒットアンドウェイで、一撃して素早く立ち去る作戦です。
 その延長線上に、ドゥーリットル空襲作戦があるのですね。これなくしてはミッドウェイ海戦は語れず。

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 ドゥーリットル空襲作戦とは、足の長い陸軍双発機を空母へ積んで日本近海まで突撃し、そこから双発機を発進させて日本各地を空襲後、中国大陸方面の中国国民党軍が確保している飛行場へ着陸させる作戦です。
 当時の米国艦載機は航続距離が短い機ばかりで、それを使うとなれば日本列島へ近接しなければなりません。もちろん日本側が備えていないはずはなく(実際は備えていないに等しい状態)、そうなれば逆襲を食らって大事な駒である空母を失いかねません。

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 だからといって陸軍の双発機を空母に載せようという発想になるところが米国のすごいところ。
 空母からの離陸はもしかしたらできるかもしれない、というので猛訓練を実施。なんとかなりそうだというので本番一発でやるかい普通。
 こういう冒険的な行為をやり遂げられるところが米国人の誇りですからなぁ。日本の徴用漁船監視に見つかって計画発動が早まるものの、16機の陸軍双発機を空母ホーネットから見事に発艦させ、日本各地を奇襲空襲したのでした。

 米国民にがんばってるアピールをする目的で敵の首都をいきなり空爆したわけですから、大統領が記者会見したりして、米国ではかなり意義のある作戦でした。
 対する日本もかなり影響が大きな帝都空襲でした。畏れ多くも陛下のおわす帝都を敵に空襲された、というのは軍人たちにとってとても許せないことだったのですよ。

 日本列島とハワイ諸島の中間にあるミッドウェイ島を攻略したら、そこから哨戒機を出せるから米国太平洋艦隊は日本列島に近づきにくくならね?という理由が、ミッドウェイ作戦を後押しすることになります。
 相手に対して有力な艦隊を保持している間に敵の痛いところを突いていく、という連合艦隊司令長官である山本五十六の構想とは裏腹に、実は米国の挑発的なヒットアンドウェイに乗ってしまっていたのですよね。

 こうして日本海軍はミッドウェイ島攻略作戦へと向かうことになるわけです。

 続きます。

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ミッドウェイ その1

 以前からちょっと触れようと思っていたのですけれど、あまりにも劇的な展開で語りつくされてるメジャー観が強く、どうしたものかと考えてましたが、一度は触れておこうかと思いまして。

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 「運命の5分間」などと語られたりする転換点として位置づけられる海戦なわけですが、それ以前の問題だろうに、と思うのですよね。
 いや生産力10倍以上で輸入がなくても戦える米国を敵に回した時点で勝てるわきゃない戦ではあったものの、海戦当時はまだいくらかは日本が押せていたんです。

 米国にケンカ売った時点で負け、という論はとりあえず置いておくとして。それ以降について全体像を把握しておきましょうか。
 「ミッドウェー」という表記が日本ではメジャーですが、焦点になった島が「Midway」ですので、ミッドウェイと書きたいところ。
 皮肉な名前の島ですよね。アジア大陸方面とハワイの中間にある島、ということでミッドウェイと名付けられたのですが、太平洋戦争の中間点、つまりミッドウェイでもあるわけで。

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 ミッドウェイ島はこの位置です。ハワイには米国太平洋艦隊の大根拠地である真珠湾があります。日本列島とハワイの中間点、というよりもハワイ寄りな位置。
 ここを攻めたら嫌でも米国は空母機動部隊を出撃させ、おびき寄せることができるんでないかな?

 なんでそういう発想になったかというと、まずは開戦劈頭の真珠湾奇襲攻撃の結果です。予定では米国太平洋艦隊の主力を一網打尽に真珠湾奇襲で壊滅させる予定でした。そのアテがはずれたのです。

 そもそも日本海軍の伝統的戦略は、攻勢に出るのではなく守勢で構えるもの。貧乏国日本でありましたし、軍縮条約で対米6割海軍に抑えつけられてましたから。相手に対して7割ならばなんとかなる、という当時の常識以下の勢力しか日本は持ってませんでした。
 そしてインドネシアなどの石油産出地を狙った作戦を日本が展開しても、横合いから米国太平洋艦隊が出てくるとうまくやれる自信がなかったのですね。

 とはいえ、日本の第一目標は東南アジアの資源地帯占領。当時は英国や蘭国の植民地であった資源地帯から商行為では油を売ってもらえなくなってましたから。ABCD包囲陣という教科書に載ってるやつです。
 それなら軍事力で占領するしかねーやというくらい、日本は資源輸入に切羽詰まってたのですよ。そこが第一目標。

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 けれどそれを遂行する上で最大の懸念は、米国太平洋艦隊の動向でした。そして英国の東洋艦隊ですね。有力なこれら艦隊の動向はかなり気になって当然。
 結果として米国太平洋艦隊は真珠湾で大きなダメージを受け、英国東洋艦隊はシンゴラ沖で劇的な壊滅となるわけですが。

 真珠湾で大ダメージを受けた米国太平洋艦隊。そのダメージというのは米国が誇る戦艦群のみでして。米国航空母艦勢力はたまたま真珠湾から遠く出かけていて無傷のまま。
 頼みの戦艦群が全滅となれば、米国としては手元にある駒である航空母艦を利用した作戦を立てるしかありませんな。ここから米国らしい反撃が始まるのですよ。

 続きます。

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タイメックス

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 歴代タイメックスw

 高価なだけのブランドに価値を見出せない性格のなせる業ですな。使用している電池はホムセンやコンビニで調達可能なもので、精密ドライバーがあれば電池交換は簡単。なにより庶民的な価格が魅力なのです。

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海底の墓標

 武蔵が発見された報は、TVニュース等で連日取り上げられたので、みなさんご存知でしょうね。
 Twitterに流れた速報を見て、仕事中にも関わらず大興奮してしまい、その後数日間は興奮したままでした。冷静になりましたので、ちょっと書いてみますw

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 まずニュースの中身は、1944年(昭和19年)10月24日に生起したレイテ沖海戦にて、米海軍からの航空攻撃により沈んだ日本海軍の戦艦武蔵が、マイクロソフト社の共同創始者であるポール・アレンの個人的な探索事業により、シブヤン海およそ水深1,000mの海底で発見された、というものです。

 武蔵は大和型戦艦の2番艦として建造された超ド級戦艦で、1番艦の大和と共に世界最大排水量の戦艦として歴史に名をとどめています。
 このような大きな戦艦を貧乏国だった日本が建造した経緯は、1922年(大正11年)のワシントン軍縮条約まで遡ります。長くなりますが説明してみますw

 第一次世界大戦において欧州はすっかり疲弊し、ロシアは革命で王政が倒れ共産主義化しました。生き残ったのが米国と日本のみ、といったような情勢になりました。
 とくに日本は勝った連合国側として濡れ手に粟の領土や利権を手に入れ、世界五大国のひとつに数えられるようになりました。明治維新からわずか50年でのし上がったわけです。

 とりあえず戦勝国となった英国は疲弊しきっていたものの、世界一の大海軍は健在。維持費がままなりません。
 米国は他の国と比較してまだ経済的に余裕があったものの、第一次大戦後に米国の仮想敵国として急激にクローズアップされてきた、棚ボタでのし上がってきた日本に対抗すべく、戦艦52隻、巡洋戦艦6隻を保有する膨大な建艦計画を立てます。
 米国の国力であれば建造することは不可能ではなかったにせよ、軍艦というのは建造もそうですが維持に巨額の予算を必要とします。おそらく無理でしょう。

 対する日本は米国の大建艦計画を察知し、有名な八八艦隊計画案を完成させます。戦艦8隻、巡洋戦艦8隻を常備する計画です。
 大型艦16隻を建造することも保有することも当時の日本の国力では無謀というべき案でしたが、そこまでやらないと日本を守ることができないという危機感の現われかと思われます。
 大型艦16隻、しかも艦齢8年未満という条件だと、毎年複数の大型艦を建造してなきゃならないわけで、とてつもない予算が必要になります。よく帝国議会を予算案が通過したものですw

 そういった軍事拡張の競争はキリがなく、ひたすら国力を疲弊させていくだけになりがちです。そこで海軍軍縮条約を世界各国で結ぼうとなるわけです。戦艦などの大型艦の保有排水量を総数で決めてしまい、それ以上の大型艦は保有しない、という条約です。

 1922年に成立したワシントン条約では、当時の五大海軍国であった米英日仏伊(ドイツは別途ベルサイユ条約にて敗戦国として保有軍備を制限済)に対し、比率にして米英それぞれ10、日本6、仏伊それぞれ3.34(陸奥問題で端数発生)と決められてしまいます。
 当時の考え方では、敵国艦隊に対し7割以上の規模の艦隊でなければ引き分け以上に持ち込めない、という理論があり、そのため日本は7割を主張しますが結局会議では受け入れられませんでした。
 日本も仮想敵国をロシアから米国へ切り替えていました。対米6割の日本海軍。そういった認識が関係者の間に固定されていくのでした。

 もしも米国太平洋艦隊が日本へ攻め寄せてきても勝てないのなら、せめてそれぞれの艦を他国より優秀なものにしよう。これがワシントン軍縮会議以降の日本海軍の考え方になります。
 速度で相手を上回ることと、艦砲の命中率が高ければ大きな長所になることは、日露戦争における日本海海戦で日本は学んでいました。居住性と航続距離を犠牲にしつつ高速重武装を目指すようになります。つまり遠洋へ進出する仕様ではなかったのでした。

 続くロンドン軍縮会議の話は割愛。

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 国際的な取引や国家間の緊張感からワシントン条約は徐々に効力を失い、日本は1936年(昭和11年)に条約が失効(2年前に破棄通告)、ここから大和型戦艦建造への道が開かれます。
 一番の特徴は46cmという大口径の主砲を採用したこと。いわゆる「アウトレンジ」という考え方です。相手の弾が届く前にこちらの弾が相手に届けば有利に戦えます。そのためには相手国より大きな口径の主砲を使えばいい、という発想です。

 これにはもうひとつ理由があり、米国には46cm砲搭載艦は建造できないだろうという試算がありました。
 というのも、米国の大きな造船所は大西洋岸に多く、日本へ対抗するため太平洋へ回航するにはパナマ運河を通らなければなりません。ところが46cm砲を搭載する規模の戦艦の幅では、パナマ運河を通過できない可能性が高かったのですね。
 一般的に戦艦は相手の戦艦と撃ち合いをするための道具ですので、設計の不文律として自分が搭載する主砲を自分へ撃ち込んでも耐えられる防御を施すものなのです。そのため主砲口径が艦全体の寸法に影響したわけです。

 ただ、いくら遠くへ弾を飛ばしたとしても遠距離では命中精度が落ちますし、水平線の向こうまで弾を送り込むには観測機などの遠隔観測手段が必要で、そうなると制空権の確保という別次元の問題が出てきます。
 また、アウトレンジといえど、米国の戦艦は長砲身砲が多く、長砲身も弾を遠くへ飛ばしてやる手段のひとつとして有効であり、46cm砲が一方的に相手をタコ殴りにできたかどうかは疑問なのです。
 むしろ大口径砲弾で相手を物理的に叩き壊すための46cm砲、と考えておいたほうがいいのかもしれませんね。

 大和型には他にも設計の特徴やエピソードは多々あるものの、これまた詳細は割愛。ただ46cm砲を搭載した戦艦としては小ぶりであり、重防御だったわりにはそこそこ速力もあった、とだけ紹介しておきます。

 さて、肝心の武蔵の話になります。大和型は能力が高くても運用コストもバカ高く、簡単に前線へ投入できるようなシロモノではありませんでした。
 そのため泊地で停泊してばかり。大和ホテルと武蔵屋旅館の別名をつけられる理由です。たまに出撃しても活躍するシーンが訪れません。

 いよいよ本格的に出撃したのは1944年6月のマリアナ沖海戦。空母同士の艦載機による叩き合いに終始したため、まったく活躍できませんでした。
 そしてマリアナ沖海戦で空母戦力を完全に失った日本海軍が、フィリピン上陸の連合軍を撃退するために戦艦中心の部隊を突撃させることにしました。
 空母艦載機による上空防衛という傘がないとはいえ、フネはたくさん健在しています。これを遊ばせておくほどフィリピン防衛の意味合いは軽くなかったのです。そして発生したのが、10月のレイテ沖海戦です。

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 艦載機をほとんど搭載していない空母を中心としたニセ機動部隊、いわゆる小沢囮艦隊が北方で牽制してくれたおかげで、連合軍の圧倒的な空母機動部隊は分散され、数度の空襲も徹底したものにはなりませんでした。
 潜水艦による攻撃を受けて一瞬の間に重巡洋艦数隻を失ったり、空襲被害で落伍していく艦も出ましたが、まだ戦力といえるだけの規模を艦隊は維持してました。

 そんな中、連合軍の艦載機は武蔵へ攻撃を集中します。一説によると武蔵のみ他艦とは違う色の塗装をしていたために目立ったともいいます。
 魚雷2本を受けても戦闘を継続し、魚雷3本を受けても根拠地へ帰投できること。大和型の水中防御の目標はその程度だったといいますが、実際に武蔵が航空攻撃で受けた魚雷は20本以上(諸説あり)、爆弾17発、至近弾20発というとてつもない量でした。
 それでもまだ浮いたまま前進していたのだから驚きなのです。大和型の水中防御には欠陥があったという見方が一般的になりつつありますが、それでも歴史上これだけの攻撃を受けても沈まなかったフネは武蔵くらいのものでしょう。

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 そして前進したまま浸水のため艦首から徐々に沈んでいったという伝承から、浮力を残したまま海面から消えたので、もしかして海流に流されて海中を彷徨っているのではないか、というオカルトじみた話が出たりしたのですよね。
 戦後に武蔵探索プロジェクトなどで調査されても見つからず、行方不明の理由として、ロマンを持って語られた話だとは思いますが、実際には左へ傾斜しており、転覆しています。その後にボイラーと思われる大爆発を起こしたようです。

 数年前に映像で明らかになった海底に眠る大和の惨状から、仮に武蔵が見つかったとしても同じく悲惨な状況ではないかと推測されていたのに、ポール・アレンが公開した武蔵の映像からすると、思いの外、旧状を残した姿で沈んでいる模様ですね。
 沈没地点を明らかにしなかったのは、アレン氏の慧眼かと思われます。タイタニック号の沈没地点が明らかになった途端、ハエのようにマスコミや宝探し、サルベージ業者が殺到した教訓。
 もっとも、深度1,000mから武蔵みたいな大型艦を引き上げる技術は、おそらくどこにもないと思われますが。

 きれいなまま沈んでいたのが、個人的にはグッときましたよ。このまま静かに海の中で眠らせておいてほしいと思います。

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ムダーイ!

 更新しないと気持ち悪い表示になる仕様ですので。

 思いつきでたまにちょろすなを更新しております。つまんない内容ですが、ひとつご贔屓にw

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遊びに行ってきます

 ポツポツとちょろすなをまとめて更新してきましたが、これでもまだ残ってるネタがあったり。溜めると更新がつらいですなw

 で、更新しないで星を眺めに行ってきます(^o^)ノ

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