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海底の墓標

 武蔵が発見された報は、TVニュース等で連日取り上げられたので、みなさんご存知でしょうね。
 Twitterに流れた速報を見て、仕事中にも関わらず大興奮してしまい、その後数日間は興奮したままでした。冷静になりましたので、ちょっと書いてみますw

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 まずニュースの中身は、1944年(昭和19年)10月24日に生起したレイテ沖海戦にて、米海軍からの航空攻撃により沈んだ日本海軍の戦艦武蔵が、マイクロソフト社の共同創始者であるポール・アレンの個人的な探索事業により、シブヤン海およそ水深1,000mの海底で発見された、というものです。

 武蔵は大和型戦艦の2番艦として建造された超ド級戦艦で、1番艦の大和と共に世界最大排水量の戦艦として歴史に名をとどめています。
 このような大きな戦艦を貧乏国だった日本が建造した経緯は、1922年(大正11年)のワシントン軍縮条約まで遡ります。長くなりますが説明してみますw

 第一次世界大戦において欧州はすっかり疲弊し、ロシアは革命で王政が倒れ共産主義化しました。生き残ったのが米国と日本のみ、といったような情勢になりました。
 とくに日本は勝った連合国側として濡れ手に粟の領土や利権を手に入れ、世界五大国のひとつに数えられるようになりました。明治維新からわずか50年でのし上がったわけです。

 とりあえず戦勝国となった英国は疲弊しきっていたものの、世界一の大海軍は健在。維持費がままなりません。
 米国は他の国と比較してまだ経済的に余裕があったものの、第一次大戦後に米国の仮想敵国として急激にクローズアップされてきた、棚ボタでのし上がってきた日本に対抗すべく、戦艦52隻、巡洋戦艦6隻を保有する膨大な建艦計画を立てます。
 米国の国力であれば建造することは不可能ではなかったにせよ、軍艦というのは建造もそうですが維持に巨額の予算を必要とします。おそらく無理でしょう。

 対する日本は米国の大建艦計画を察知し、有名な八八艦隊計画案を完成させます。戦艦8隻、巡洋戦艦8隻を常備する計画です。
 大型艦16隻を建造することも保有することも当時の日本の国力では無謀というべき案でしたが、そこまでやらないと日本を守ることができないという危機感の現われかと思われます。
 大型艦16隻、しかも艦齢8年未満という条件だと、毎年複数の大型艦を建造してなきゃならないわけで、とてつもない予算が必要になります。よく帝国議会を予算案が通過したものですw

 そういった軍事拡張の競争はキリがなく、ひたすら国力を疲弊させていくだけになりがちです。そこで海軍軍縮条約を世界各国で結ぼうとなるわけです。戦艦などの大型艦の保有排水量を総数で決めてしまい、それ以上の大型艦は保有しない、という条約です。

 1922年に成立したワシントン条約では、当時の五大海軍国であった米英日仏伊(ドイツは別途ベルサイユ条約にて敗戦国として保有軍備を制限済)に対し、比率にして米英それぞれ10、日本6、仏伊それぞれ3.34(陸奥問題で端数発生)と決められてしまいます。
 当時の考え方では、敵国艦隊に対し7割以上の規模の艦隊でなければ引き分け以上に持ち込めない、という理論があり、そのため日本は7割を主張しますが結局会議では受け入れられませんでした。
 日本も仮想敵国をロシアから米国へ切り替えていました。対米6割の日本海軍。そういった認識が関係者の間に固定されていくのでした。

 もしも米国太平洋艦隊が日本へ攻め寄せてきても勝てないのなら、せめてそれぞれの艦を他国より優秀なものにしよう。これがワシントン軍縮会議以降の日本海軍の考え方になります。
 速度で相手を上回ることと、艦砲の命中率が高ければ大きな長所になることは、日露戦争における日本海海戦で日本は学んでいました。居住性と航続距離を犠牲にしつつ高速重武装を目指すようになります。つまり遠洋へ進出する仕様ではなかったのでした。

 続くロンドン軍縮会議の話は割愛。

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 国際的な取引や国家間の緊張感からワシントン条約は徐々に効力を失い、日本は1936年(昭和11年)に条約が失効(2年前に破棄通告)、ここから大和型戦艦建造への道が開かれます。
 一番の特徴は46cmという大口径の主砲を採用したこと。いわゆる「アウトレンジ」という考え方です。相手の弾が届く前にこちらの弾が相手に届けば有利に戦えます。そのためには相手国より大きな口径の主砲を使えばいい、という発想です。

 これにはもうひとつ理由があり、米国には46cm砲搭載艦は建造できないだろうという試算がありました。
 というのも、米国の大きな造船所は大西洋岸に多く、日本へ対抗するため太平洋へ回航するにはパナマ運河を通らなければなりません。ところが46cm砲を搭載する規模の戦艦の幅では、パナマ運河を通過できない可能性が高かったのですね。
 一般的に戦艦は相手の戦艦と撃ち合いをするための道具ですので、設計の不文律として自分が搭載する主砲を自分へ撃ち込んでも耐えられる防御を施すものなのです。そのため主砲口径が艦全体の寸法に影響したわけです。

 ただ、いくら遠くへ弾を飛ばしたとしても遠距離では命中精度が落ちますし、水平線の向こうまで弾を送り込むには観測機などの遠隔観測手段が必要で、そうなると制空権の確保という別次元の問題が出てきます。
 また、アウトレンジといえど、米国の戦艦は長砲身砲が多く、長砲身も弾を遠くへ飛ばしてやる手段のひとつとして有効であり、46cm砲が一方的に相手をタコ殴りにできたかどうかは疑問なのです。
 むしろ大口径砲弾で相手を物理的に叩き壊すための46cm砲、と考えておいたほうがいいのかもしれませんね。

 大和型には他にも設計の特徴やエピソードは多々あるものの、これまた詳細は割愛。ただ46cm砲を搭載した戦艦としては小ぶりであり、重防御だったわりにはそこそこ速力もあった、とだけ紹介しておきます。

 さて、肝心の武蔵の話になります。大和型は能力が高くても運用コストもバカ高く、簡単に前線へ投入できるようなシロモノではありませんでした。
 そのため泊地で停泊してばかり。大和ホテルと武蔵屋旅館の別名をつけられる理由です。たまに出撃しても活躍するシーンが訪れません。

 いよいよ本格的に出撃したのは1944年6月のマリアナ沖海戦。空母同士の艦載機による叩き合いに終始したため、まったく活躍できませんでした。
 そしてマリアナ沖海戦で空母戦力を完全に失った日本海軍が、フィリピン上陸の連合軍を撃退するために戦艦中心の部隊を突撃させることにしました。
 空母艦載機による上空防衛という傘がないとはいえ、フネはたくさん健在しています。これを遊ばせておくほどフィリピン防衛の意味合いは軽くなかったのです。そして発生したのが、10月のレイテ沖海戦です。

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 艦載機をほとんど搭載していない空母を中心としたニセ機動部隊、いわゆる小沢囮艦隊が北方で牽制してくれたおかげで、連合軍の圧倒的な空母機動部隊は分散され、数度の空襲も徹底したものにはなりませんでした。
 潜水艦による攻撃を受けて一瞬の間に重巡洋艦数隻を失ったり、空襲被害で落伍していく艦も出ましたが、まだ戦力といえるだけの規模を艦隊は維持してました。

 そんな中、連合軍の艦載機は武蔵へ攻撃を集中します。一説によると武蔵のみ他艦とは違う色の塗装をしていたために目立ったともいいます。
 魚雷2本を受けても戦闘を継続し、魚雷3本を受けても根拠地へ帰投できること。大和型の水中防御の目標はその程度だったといいますが、実際に武蔵が航空攻撃で受けた魚雷は20本以上(諸説あり)、爆弾17発、至近弾20発というとてつもない量でした。
 それでもまだ浮いたまま前進していたのだから驚きなのです。大和型の水中防御には欠陥があったという見方が一般的になりつつありますが、それでも歴史上これだけの攻撃を受けても沈まなかったフネは武蔵くらいのものでしょう。

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 そして前進したまま浸水のため艦首から徐々に沈んでいったという伝承から、浮力を残したまま海面から消えたので、もしかして海流に流されて海中を彷徨っているのではないか、というオカルトじみた話が出たりしたのですよね。
 戦後に武蔵探索プロジェクトなどで調査されても見つからず、行方不明の理由として、ロマンを持って語られた話だとは思いますが、実際には左へ傾斜しており、転覆しています。その後にボイラーと思われる大爆発を起こしたようです。

 数年前に映像で明らかになった海底に眠る大和の惨状から、仮に武蔵が見つかったとしても同じく悲惨な状況ではないかと推測されていたのに、ポール・アレンが公開した武蔵の映像からすると、思いの外、旧状を残した姿で沈んでいる模様ですね。
 沈没地点を明らかにしなかったのは、アレン氏の慧眼かと思われます。タイタニック号の沈没地点が明らかになった途端、ハエのようにマスコミや宝探し、サルベージ業者が殺到した教訓。
 もっとも、深度1,000mから武蔵みたいな大型艦を引き上げる技術は、おそらくどこにもないと思われますが。

 きれいなまま沈んでいたのが、個人的にはグッときましたよ。このまま静かに海の中で眠らせておいてほしいと思います。

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コメント

さすが、分かりやすい解説ありがとう
よく分かりました(・ω・)ノ

投稿: ぴゅんぴゅん | 2015年3月11日 (水) 23:28

最初に書いた内容を1/3ほどに短くしてみますたwww

投稿: ビヨ | 2015年3月14日 (土) 20:35

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