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ミリオタ的に最近感じてること

 キスカなんていう古い記事を思い返し、海軍善玉論なんざ、生存者によるインテリ的言い訳のオンパレードに世間が踊らされているだけなのだなと、感じずにはおれなかった感覚を思い出しましてな。

 日本のあの時期においては不世出の指揮官と形容してもいいであろう木村昌福提督を取り上げつつ、周囲のステロタイプともいうべき戦争指導の海軍中枢の雰囲気も書いたつもりでした。
 「大和魂」を戦力として勘定していた愚かさといいますか、今でこそ愚かだと断罪できますが、当時はマジでヤル気が国力にプラスすると考えるのが常識でした。なんつっても神国ですから。
 そんな中、合理的な思考ができるだけ、木村昌福という人は稀有な存在だったのだなぁと、あらためて思うわけです。

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 で、話は戦史オタ的なまま続くのですが。

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 山本五十六を題材にした映画が登場した時に書こうかと思って、なんとなくやめといた話題として。
 航空機が海戦の結果を左右するのだという時代を切り拓いたのは、真珠湾攻撃を着想した山本五十六なのだ!というデフォルト観念を、そのまま受け取っていいものなのかという疑問は、歴史を勉強する者として抱くべきだと思うんです。

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 定説では、英国が地中海でイタリアの軍港であるタラント港へ空母艦載機で夜襲をかけたことがヒントになり、山本五十六が真珠湾攻撃を着想したのではないかということになってますが、ヒントになったかもしれないにせよ、条件が違いすぎますわな。
 英国は複葉機でチンタラ飛んでいかなきゃならない脆弱さがリスクになり、そのために夜襲を選んだのであり、照明弾投下係を用意してまで夜という場面を選ばなければなりませんでした。

 ようは軍港を航空機で襲撃するという戦法と、意外な結果ですね。襲撃された側のイタリア海軍はビビりまくり、英国の手が届かない奥地の軍港へ逃げ、なんら戦力として寄与することがなくなってしまったという。その結果ですわ。そこへ注目したのでしょ。
 日本海軍よりも常に優勢な戦力である米国太平洋艦隊を黙らせるために、軍港へまとまっているうちに叩いてしまえばいいということでしょうし、空母機動部隊によって大量の艦載機による集中攻撃を実施したのが真珠湾攻撃です。

 航空機というのは脆弱な存在で、ちょっと損傷したらバランスを失って飛べなくなるような危うい存在ながら、それを大量に戦場へ集中投入するというやり方は、たしかに日本海軍が先鞭をつけましたね。相手の近くへ航空機を運ぶための手段が航空母艦と考えればわかりやすいかと。
 あるいは長い距離を飛べる航空機があるなら、そのまま相手の艦隊を叩いてしまえばいいという考えにもなります。

 前者の空母で航空機を運ぶやり方が真珠湾攻撃であり、後者の長距離機による艦隊襲撃はマレー沖海戦となるわけでして。
 どちらも航空機による主力艦攻撃に成功した例であり、真珠湾は港湾へ停泊している戦艦群に対して。マレー沖では航行中の戦艦艦隊へ陸上機から襲撃をかけた例ですね。
 12月8日の真珠湾攻撃の数時間後に、マレー沖では英国東洋艦隊の戦艦群が航行中に沈みつつあるという、航空機の時代を開いたエポックメインキングな場面とされていますが。

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 航空機で戦艦なんて簡単に沈められるのですよ、と全世界に向けて教えてしまった日本というのは、貧乏だから航空機を充実させ、それを利用する手を考えるしかなかったという側面をまず認識せねばなりません。
 軍縮条約によって保有艦船を少なく押し付けられていた以前に、当時の貧乏日本では英米に伍する戦力なんて維持できるわけがありませんでした。

 戦艦を建造して維持するというのは、ものすごくオカネがかかることなんです。自国経済を傾けるほどに影響があります。カネ持ちじゃなきゃ無理。
 自国でかなりの物資を賄えてしまう米国や、植民地をたくさん維持していた英国と違い、日本は資源に乏しい範囲しか勢力圏がなく、国民に負担を強いなければ軍事力を維持できない貧乏国家だったのですよ。
 それでお手軽に大量整備できる航空機に目をつけ、これをなんとか利用する方向へ舵を取ったのが山本五十六でして。

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 けれど当時の日本の戦略として、まずフィリピンを攻略します。米国と非常に繋がりの強いフィリピンを取られたら、米国は当然に反撃に出てくるであろうと。それが基本戦略でした。
 つまり迎撃作戦ですね。兵力に劣る日本は迎撃作戦に国運を賭すしかなく、それは日露戦争においてロシア艦隊を迎え撃った構図に重なる部分があります。貧乏国の取りうる戦略は迎撃作戦か、さもなくば乾坤一擲の奇襲攻撃作戦しかなく。
 日本が伝統的に奇襲作戦に強いというのは、裏返せば貧乏国だったからともいえます。

 このフィリピン近海迎撃作戦は、いわゆる漸減作戦と呼ばれます。真珠湾を出港してくるであろう米国太平洋艦隊に対し、ハワイ近郊からすでに攻撃を開始します。監視している潜水艦隊からの奇襲ですね。
 そして西太平洋を西進してくる相手に、陸上基地から陸上機による空襲を繰り返します。錬度が高く命中率が高かった海戦当初の海軍航空隊なら、かなりの戦果が期待できましょう。

 そして数が減った米国太平洋艦隊へ向け、真打の連合艦隊が挑みます。まずは決戦前夜の夜戦で、水雷戦隊が突撃します。日本の誇る酸素魚雷ですね。
 酸素を燃料としますんで、魚雷搭載エンジンの排気がほぼ皆無で、魚雷の航跡が見えません。しかも高速で射程距離も長い。これが大量に発射されます。搭載火薬も大きいので、当たればシャレになりません。

 翌朝。かなり数が減った米国太平洋艦隊に対し、フルメンバーの日本海軍戦艦部隊が正々堂々と砲撃戦を挑みます。
 戦艦大和は46cm砲を持ってますから、相手の弾が届く前に射撃を開始できます(命中率と砲身長差による射程と貫徹力の差はあるにせよ)。一方的に相手を叩き、頃合いを見て全軍突撃。そのまま相手を全滅させるという、日本海海戦再びっていうストーリー。

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 これがストーリーのまま進展するかどうかということではなく、こういった戦い方を前提にすべての海軍戦力が整備されていたところを、航空機主力としていきなり方向転換をした山本五十六ということを私は言いたいのです。
 国力の差が大人と子供ほどに大きい当時の日本と米国で、最初から戦争をしようという時点からそもそも間違っていたにせよ、少なくても大量生産可能な航空機を主力化してしまうと、生産能力で10倍以上の差があった米国と競争しても勝てるはずはないんです。単純な算数の話。

 つまり航空戦力は奥の手としてキープしておき、それまでの伝統的な戦略で動いていたほうが結果としてはもっとマシであったろうという見方はできると思います。
 フィリピン近海迎撃作戦で米国太平洋艦隊が全滅に近い結果になっていたかもしれないことは、史実を見れば十分にあり得る話で、そこから米国市民の厭戦気分が長じた可能性もあるんです。それこそ日本が長年戦略として考えていた戦い方であって。それをブチ壊しやがった山本五十六一派、という見方もできるんでないですかね。

 いや、繰り返すようですが、国力10倍以上の米国へケンカを売る神経が狂ってますし、中国を一度叩けばこっちの言うことを聞くようになる論とか、どんだけ自分中心なんだって話に帰結してしまうわけで、その端緒を遡れば日露戦争の勝利に繋がってしまうことは論を待ちませんね。
 日露戦争後の国の行き方を間違ったという結論以外に、もうなにもないわけなのですけれど、そういった責任も含め、細かくは書きませんが海軍の姿勢のテキトーさというのはありますし、挙句に伝統的な戦略を捨て去った山本五十六ってどうなのよ?とは最近感じていることなのですよね。

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