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異説 ビヨ版・忠臣蔵 その後

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 いよいよ本格的な雪道になってきた当地。でも12月中に根雪になってしまうことは最近なくなり、雪の本番は年明けからですな。

 忠臣蔵のフォローをせえというリクエストがありましたので、軽く流します。

 いわゆる『忠臣蔵』という物語がフィクションであることは、意外にも知らない人が多く、あれを史実であると思い込んでいる世の中なのですね。
 年末恒例でどこかのTVチャンネルでしつこく放映されますから無理もないのですけど。刷り込み効果ってやつですか。

 けれど史実を辿ると、悪役はむしろ赤穂側ではないのかという疑念が沸くわけです。懇切丁寧に教えてくれた吉良の製塩法なのに、師匠の市場に殴りこんでくとか、ちょっと当時のノリではあり得ない気がするんですよね。
 ましてや賄賂の金額がどうしたとか、吉良上野介が浅野内匠頭の奥さんに横恋慕したとか、脚色もたいがいにせえって感じで。
 吉良側は被害者なんじゃないかって。無責任な世論を防げず討ち入りされちゃっただけなんじゃないかなぁと思うんです。

 さすがに幕閣はバカじゃなかったようで、吉良上野介は隠居、浅野家はお取り潰しという処分にしてます。喧嘩両成敗という価値観からしますと、妥当といえるんでないですかね。
 なのに徒党を組んで討ち入るなんざ、逆恨みもいいとこでしょ。忠臣っていえば忠臣かもしれませんが、単なる逆恨みですがな。アホな主君に仕えてしまった自分や親を恨めって話でして。

 なのに現代でも語り継がれる理由は、名作として『忠臣蔵』という劇が固定化されてしまったからです。国定忠治も同じですね。現実とは全然違っても、お客がウケるならやりますよ。

 その理由のひとつに、赤穂藩の藩札回収の一件があるのではないかと、故樋口清之教授は推測してますね。
 藩札っつーのは、藩が勝手に印刷する「換金可能な紙幣」です。当時は国家単位の紙幣なんざありませんで、藩が刷ってたわけです。
 紙幣といっても短冊の裏表に墨書きやハンコが押されてるだけのテキトーな札です。「そんなもん刷った覚えはない」と藩から拒絶されたらそれまでっていう、いい加減な手形みたいなもんですな。

 赤穂藩はお取り潰しが確定しそうな気配を察知し、関西圏に流通する藩札を一気に回収して現金化したんですね。
 指揮は大石内蔵助でした。ほぼ完璧に回収したので、浅野家の金蔵には小判がなにもなかったという記録が残っています。
 当時のノリからしたら、そんな藩札なんざ踏み倒して当然です。それを徹底的に回収したという事実が、本来の美談なのですよ。

 関西の芝居小屋から火がついた『忠臣蔵』の裏には、そういう史実があるわけです。そのへんを知らないと、あれを史実だとか思い込む人が増えるばかりですなあ。

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