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キスカ その4

 キスカ南方海面で待機しつつ、何度かキスカ島への接近を試みたのですが、どうしてもキスカ周辺に近づくと霧が晴れてしまい、木村司令官は作戦再興を期して幌莚へ帰投することを選択します。
 味方は濃霧しかなく、それが期待できないのであれば、作戦の成功は狙えません。幌莚へ着任する前に体験したビスマルク海戦で、制空権のない裸艦隊の悲惨さを木村がよく知っていたということもあったでしょう。

 一時帰還を選択した木村の判断は、まったく周囲から理解されませんでした。配下の艦長達は「勇気がない」と陰口を叩き、第5艦隊司令部からは激しい嫌味。
 大本営からも作戦中止の理由を詰問する電文が届く等、軍上層部で木村の判断を支持する立場を取る人は誰もいませんでした。

 米軍の上陸が予想される8月が近く、再度の作戦決行には時間が切羽詰っていたことと、第5艦隊の管理する燃料があと1回分の作戦を遂行するしか残っていなかったのも、木村を批判する材料になりました。
 キスカ島守備隊は、毎日同じ時間に七夕湾へ集結する行動を繰り返していましたが、作戦延期の連絡が入り、一度は救出してもらえると期待した後だけに、以前よりも玉砕への予感が強くなって悲観的になったといいます。

 けれど木村司令官は批判などまるで聞こえないかのようにケロリとしていたそうです。のんびりと旗艦の甲板から釣り糸を垂れている姿さえ、部下からは陰口の対象になったようです。
 木村は自分の判断は正しかったと信念を持っていたのでしょうね。「帰ればまた来れる。」の言葉の裏には、自信を持てないのに作戦を強行して米軍に発見されれば、間違いなくシャトルアタックの空襲を受け、やがて登場する戦艦部隊によってほぼ全滅させられることが可能性として大きかったのがあると思います。

 唯一の鎧である濃霧に期待できない以上、作戦は成り立たない。冷静に考えれば誰でもわかりそうなことなのですが、消極的な軍人は批判されて当たり前であった当時、臆病さと冷静さはなかなか区別してもらえなかったのでした。

6月29日 ケ号作戦発動
7月7日 キスカ救出艦隊が幌莚を出撃
7月10日 キスカ突入を期するも霧が晴れ引き返す
7月13日 キスカ突入を期するも霧が晴れ引き返す
7月14日 キスカ突入を期するも霧が晴れ引き返す
7月15日 キスカ突入を期するも霧が晴れ、燃料不足により帰投を選択
7月18日 艦隊は幌莚へ帰投

 木村司令官はひたすら濃霧の発生を待ちます。祈るような気持ちで濃霧の発生を願っていたであろう内心を少しも見せず、静かに淡々と日常を過ごし、ただひたすらに待機したのでした。

 やがて7月22日。幌莚の気象台が「25日以降、キスカ島周辺で濃霧の発生確実」という予報を出します。艦隊は素早く反応し、22日夜、幌莚から再度出撃。
 しかし一度信頼を失った木村司令官に対し第5艦隊は意地の悪いところを見せ、第5艦隊司令部が督戦のため多摩へ乗艦して同行しました。

 「督戦」というのは戦う意思をなくした兵士に対して戦意を鼓舞することです。ありていに表現するなら、お目付けですな。
 あるいは旧ソ連の政治局員のように、背中に銃を突きつけて強引に戦わせるという場合もあり、戦史的にはあまり評判のよろしくない言葉が「督戦」です。
 木村司令官が怯んだら強行させるために第5艦隊司令部が同行したわけなんですね。臆病と判断されていたということになります。

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 本来なら第5艦隊の旗艦那智で同行したいところ、燃料不足によって軽巡の多摩へ第5艦隊司令部は乗艦しました。そのくらい燃料事情が切羽詰っていたのでした。

 出港直後から濃霧に見舞われたキスカ救出艦隊は、あまりにも視界不良のため艦隊行動が不可能になり、行方不明の艦まで出る始末。

 集合点として指定されていた海域になっても全艦が集まらず、最後まで行方不明だった海防艦の国後が突然霧の中から現れ、木村の旗艦阿武隈に衝突。その煽りで駆逐艦初霜、若葉、長波の3艦も接触。破損がひどかった若葉が艦隊から分離されます。
 衝突事故を不吉な出来事だと考える艦隊幹部もいたようですが、木村司令官は「衝突事故まで起きるくらいなら霧は満点だよ。」と平然としていたということです。

 28日。艦隊便乗の気象班から濃霧の発生確実という予報が出て、キスカ至近海域にいる潜水艦からも濃霧の発生が連絡されてきます。
 キスカ島守備隊からも島が濃霧に包まれている知らせが入ります。ここで木村はキスカ島突入を決断。艦隊は針路を北に取り一路キスカ島へ。

 七夕湾へ南側から直行せず、夜間は針路を西寄りに取り、満足な海図もないのにあえてキスカ島を西側から時計回りに島沿いに移動し、翌29日昼頃、北東側から艦隊は七夕湾へ入港します。
 キスカ島西側を迂回した理由は、米軍の封鎖艦艇を避けるためといわれています。また、島に近い航路を取ることで、沖合いの米艦船のレーダー波を島とごっちゃにさせることも狙ったのではないか、と個人的に考えていますが。

 さて。この頃、米軍はどうしていたかというと、実は木村艦隊の突入前日の28日に、一時的にキスカ島の封鎖を解いていたんです。
 キスカへ日本軍の増援があるに違いないと考えていた米軍は、キスカ島南方海上へ戦艦2隻を含む有力な艦隊を遊弋させていました。

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 哨戒機がレーダーで7隻の艦隊を発見し、現場へ戦艦艦隊は急行。26日、レーダーで正体不明の艦隊を発見。猛烈なレーダー射撃を実施しました。
 やがてレーダーへ映っていた影は消え、全艦を撃沈したものと判断されましたが、実は最初からレーダーに影など映っていなかったと証言する艦もあり、結果的に霧がいたずらした幽霊艦隊へ猛烈な砲撃を行っただけのようです。
 霧の密度が高い部分がレーダー波を反射したのだろうという説もあります。

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 あまりにも派手な砲撃戦を行ったため弾薬が不足した米戦艦艦隊は、補給の必要から海域を退きます。この際、よせばいいのにキスカ島に貼り付けていた監視用駆逐艦まで率いて後退するんですね。これが28日。
 翌29日に木村艦隊はキスカ島七夕湾へ入港しています。

 もっとも木村艦隊側でも米軍の幽霊艦隊相手の戦闘は把握していました。緊急時には暗号ではなく平文で通信する習慣がある米軍の通信を傍受し、海域にある味方艦船は潜水艦以外は自分たちしかいないので、おそらく米海軍は同士討ちをしているものと判断していたとのこと。

 濃霧の中、七夕湾へ入港する時に、なぜか湾内のみ霧が晴れ、座礁や衝突の危険なく行動することが可能でした。
 ただし沖合いは濃霧に包まれたままで、旗艦阿武隈が沖合いに敵艦隊を発見して魚雷を発射。駆逐艦島風も全射線15本の魚雷を全弾命中させたのは、湾内にある軍艦型の島であったといいます。そのくらい沖合いだけは霧が濃かったということですね。

 入港予定時刻に備えて集結していたキスカ島守備隊員はただちに艦艇への移乗を開始。桟橋もなにもない港ですから、大発と呼ばれる小さな舟艇でピストン輸送を行いました。

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 この際、できるだけ早く撤収を完了させるため、兵士の持っていた小銃を海中に投棄させ、使用済みの大発はツルハシで穴を開けて自沈させました。とにかく人員だけ救助し、あとはすべて放棄する方針を徹底させました。
 そのためかわずか55分で撤収は完了。艦隊はただちに抜錨して七夕湾を出港。幌莚へ向けて全速で離脱しました。

 北の寒い海とはいえ、霧の中でも奇跡的に静かな航海が続き、艦内に収容しきれずに甲板で過ごしていた撤収兵士らも、なにもつらいことはなかったといいます。
 7月31日から翌1日にかけて全艦は無事に幌莚へ帰投。気象通報の潜水艦も無事に帰還し、ここへ木村のパーフェクトゲームは完成を見たわけです。

 一方、一時的にキスカ島封鎖を解いていた米艦隊は、30日にキスカ島封鎖を再開。まさかたった1日の虚を木村に突かれたとも考えずに。
 霧の晴れ間に空襲を再開した米軍パイロットからは、地上からの対空砲火や移動している兵力の確認があったものの、すべて誤認と錯覚。誰もいないキスカ島へ米軍は熱心に攻撃を繰り返します。

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 やがて8月15日。34,000名という大兵力を100隻を超える艦船が厳重に護衛し、キスカ島上陸作戦が決行されます。
 しつこい艦砲射撃の後に上陸した米軍は、静かすぎるキスカ島の状況に怯え、各地で同士討ちが起こり、なんと戦死100名を出してキスカ島を占領。
 撤退時に軍医がイタズラをして「ペスト患者収容所」という看板を残していったため、米軍はパニックに陥るなど、ひたすらかっこ悪い姿を展開してました。日本軍の残留兵力は、たった数匹の犬だけだったのです。

 史実とは「小説よりも奇なり」でありまして、たった1日の虚を掴み取った木村司令官の運というのは、人事を尽くして天命を待つ、というやつであったといえます。
 「天佑神助」という言葉を使うに、これほどピッタリの作戦もありません。偶然という言葉だけでは済ませられないことが起きすぎなのですよ。
 ここまでパーフェクトな結果を残したのは、日露戦争における日本海海戦以来、空前絶後であるといえましょう。

 あの強大でシステマチックな米軍を、合理的精神で翻弄し倒した作戦は痛快でさえあります。
 作戦はハッピーエンドのパーフェクトゲームですんで、もちろん映画化されてます。東映の「太平洋奇跡の作戦 キスカ」ですね。史実というよりフィクションに近いものはあるにせよ、エピソードはキッチリとフォローされていますんで、史実を知っていて鑑賞する分にはオッケーの内容。
 私の愛蔵VHSが20年を過ぎてすっかり擦り切れて再生不能になって泣いていたのですが、DVDでちゃーんと再販になってます。買うぞ。

 なお、第1回キスカ突入を断念して臆病者のレッテルを貼られた木村は、2回目の完全作戦成功により、昭和天皇拝謁の栄に浴しています。
 これで木村に文句をタレる関係者は誰もいなくなったといいますから、木村の実力を評価していたのは陛下だけだったということですかね。

 その後に木村は第2水雷戦隊司令官へ横滑り。水雷戦隊のエース格は2水戦ですから、真打登場というところでしょうか。
 敗勢濃いフィリピン戦線でレイテ島輸送作戦を2度に渡って成功させ、その後に礼号作戦、いわゆるミンドロ島殴り込み砲撃作戦に参加。劣勢すぎる兵力で精一杯作戦を推進し、日本海軍最後の勝利と呼ばれる結果を残しました(戦果としてはあまりにもショボく、なんら戦局に寄与せず)。

 戦後は戦中の部下らと製塩会社を運営し、地味に暮らしていましたが、早くから連合軍側では指揮官としての評価が高く、それを逆輸入したような形で木村の死後に国内でも評価が高まっています。
 戦史として大々的に取り上げられる戦いには参加していなくても、キラリと光る存在であった提督といえます。

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コメント

自衛隊の国際救助隊化は賛成。
最新の設備と教育で世界から称賛される
部隊になると凄いよねぇ。

投稿: ぴゅんぴゅん | 2010年3月28日 (日) 20:30

ごめーん!読み返していてその下りをバッサリ削除しちゃった
のよー。撤退作戦で能力をフルに発揮していたように
思えて。日本人というのは救助隊向きなのではないかと
思ったりして、それが自衛隊の国際武装救助隊化という
個人的提言になってんです。
 
武装させないと、ホレ、ナメてかかってくる人々が世界中に
たくさんいるべさ?
自衛と共に避難民などを保護する武装なのですよ。だから
大口径火器は不要。
むしろヘリや輸送機、輸送艦の類を充実させないと。
かつての大型輸送潜水艦なんてのも検討していいかも。

投稿: ビヨ | 2010年3月28日 (日) 20:38

いや~、まさかこういう結果になろうとは。しかも、明らかに木村指令の
思惑を超えた「天の采配」を感じますね。こういう方は得てして早世
しそうなものなんですが、無事に終戦を迎えられたと聞いて、ほっと
しました。

ある筋によれば、日本の自衛隊というのはかなり錬度が高いそうですね。
合同演習でアメリカの特殊部隊レベルが日本ではデフォルトだったので、
あちらさんをかなりビビらせたとか。

空自にしても、米空軍のトップガン並みのパイロットがゴロゴロして
いるそうで、空自とだけはドッグファイトしたくないと洩らしていた
そうです。どこまでホントの話か分かりませんが・・・(^_^;

投稿: エンゾー | 2010年3月29日 (月) 18:41

税金で運用してる意識が強い組織ですけん。税金分は
やらないと!とがんばってるんでないですかね。
このへんはくれーんの兄貴にコメントしていただきたい
とこです(^^;
 
木村提督があっさり戦死してしまってたら、このストーリーは
完成しないのでした。
しぶとく最後まで戦い続けるのも、名提督の条件ではないかと
思います。

投稿: ビヨ | 2010年3月29日 (月) 19:35

だれが、もう一度キスカ作戦というより、木村中将を映画化しないかな~

投稿: ハウスダスト | 2015年11月22日 (日) 01:09

現代だからこそリメイクが難しい世相かあるのではないですかね。まだまだ自虐教育の影響が大きい世の中ですゆえ。

投稿: ビヨ | 2015年11月23日 (月) 18:37

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