誠に遺憾に存じます
えー、ジュリーの曲が私のカラオケの定番というネタを前に書きましたが、若い頃からジュリーの曲が好きだった私ながら、営業マン時代は無理でしたなぁ。当時はお笑い系を強引に担当させられ、先輩をひたすら立てる役に徹していたのでした。
そんな場面で選ぶのは、クレージーキャッツ。たいていお客様はご年配が多かったものですから、若造の私が肺活量にモノを言わせて堂々歌いまくり、こいつはなんでそういう古い歌を次々と歌えるのかと興味を示すわけですな。
そりゃあなた、クレージーのベスト盤が私の愛聴盤だったからなのですよ。
仕事でつまんねえ思いをして落ち込んでる時。女のワガママが度を越して張り倒したいのを我慢してる時。なんもかんもうまくいかない日々が続いてやるせない時。そんな時にクレージーキャッツはカンフル剤になるのですね。
コミックバンドだと思ってる方もいらっしゃるでしょうが、メンバーはみなさんベテランのミュージシャンであり、かつて歌いまくってたのは高度経済成長時代に対するアイロニーにほかならず、作詞が青島幸男ということもあって、かなり風刺がキツい曲ばかり。
コミックバンドというより、むしろアナーキーなノリでさえあります。発売禁止になって歌詞を差し替えなんてこともよくありましたものね。
有名なのは『スーダラ節』でありますが、あれとて現代に通ずる普遍性を持った名曲ですよ。どっかの競馬場で植木等がミニコンサートをやった時、スーダラ節は会場の大合唱だったといいます。
世界史や日本史なんざ、しょせん人間が紡いできた社会の記録でしかなく、その主人公たる人間ってのは、現代も縄文時代も感情的にはたいして変わりがないものです。感情と欲が社会を動かしているとするなら、人間ってのは同じことを繰り返しているだけの愚鈍な存在でしかなく、時代が違っていても真実に斬り込んだ歌は永遠に愛されるものですぜ。
たまんねえ、と思うくらい『遺憾に存じます』が好きだなぁ。ビートルズ全盛時という時期に、ビートルズの後乗りで弾くリフではなく、日本的前乗りにアレンジされ、民謡(音頭)の要素を巧みに織り込みつつ、バックは寺内タケシとブルージーンズという構成。植木等のなにやらブッ壊れたような歌い方もたまんねえっす。
こりゃまたどういうわけだ。世の中間違っとるよ。そう生活の矛盾をコボしつつ、なにかというと「社会が悪い」という都合のいい結論に持ち込みそうに見せておいて、植木等は軽ーく「誠に遺憾に存じます」と〆てしまう。
当時からすでに「遺憾に存じます」は単なる逃げ口上でしかなかったという皮肉は、現代の政治家が口にする「遺憾に存じます」を笑っちまってるわけです。
ええ、あの地獄の求職期間を私のようなガラスのハートの持ち主が乗り切れたのは、クレージーキャッツのおかげでもあるのでした。
クレージーの歌を聴いてるうちに、なんだか俺はつまんねーことでクヨクヨしてやがんなぁと気がつけるのですね。
クレージーの曲には『○○節』というのが多いのですけど、これっていわゆるひとつのブルースのことだべさ?なんて思いたくなるくらいに、植木等のボーカルで歌う人間の本音というやつは、たまらなく心に響いてきたりするわけです。
『遺憾に存じます』は以下のURLからYOUTUBEで。
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