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回帰と酔眼について

 早くもケン君1号の仕様を変えてしまった・・・・。

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 FDDをマルチカードリーダー兼USB+SATAソケットにチェンジしちまったよ。わざわざ黒いのを選んだのは、将来的に黒いボディにしてみたくて。希望を反映してみたに過ぎない。

 「およしなさいな」とマシン製作者から警告されてはいたのだ。こういった固定装備のマルチリーダーは接触不良が起きて泣きを見ることになるらしい。
 私は前面にUSBが欲しかっただけなのだけど、たまたまその店にはこのようなものしかなかった。某館に行ってればいろいろ選べたかもしれんが。近所の家電店で済ませてしまったのだね(^^ゞ

 なぜか我が家で遊んでた3.5inの80GBを仕組めないかと思って、軽い気持ちでバラしてみた。電源コネクタくらいはわかる。DVDドライブから回ってきてるソケットがATAっぽい。それを挿してみたら、あーら簡単に認識すんじゃん。
 マルチカードリーダーのソケットを観察し、付属のケーブルを装着してマザーを酔眼で観察してたら、ちゃんと挿すとこあんじゃんか。SATAのソケットがやけに簡素な抜き差しなのが気になるものの。こんなもんなの?

 結果としてなんら問題なく使えちゃってる。カードリーダーとHDD増設の順番を間違えたので、パスの名付けで少々面倒なことになったものの、数回再起動してパス名を整理。

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 ヒューレットの14インチの左右へ安物スピーカーを設置。どうしても画面の両側から音が出てほしくてね。
 DVDを見る時もそうだし、GeForceの威力を試すべく飛行機を飛ばす際にも、音は重要である。とくにMSのCFS2なんかだと、自分に撃ち込まれてくる機銃の音は、方向も重要なのだ。たかがフライトシミュレーターながら、五感を働かせねばならないもので。

 緊急的にデスクトップ機を置くスペースをなんとか確保した我がアパートの状況さえなければ、思いっきり大きなモニターとサラウンドスピーカーを実装したいくらい。
 映画を贅沢な環境で鑑賞できる個人スペースというのは、現代におけるワガママのひとつであると私は思ってる。
 でもDVDのドライブ音がうるさくてダメかもしんねー。やはりヘッドホン使うしかねえか。サラウンド対応のヘッドホンや出力はあるからねえ。

 そのくらいやったら酔いが回って面倒になって作業終了。本日の作業はここまで。

 話はおもむろに変わる。

 パーツが欲しけりゃ市内の某館へ行くべきなのはわかっていたし、家電店はいろんな意味で物欲の鬼門なのだけど、その一方で大型家電店は世の中のトレンドというか、世の動きに触れられるスペースでもある。
 モーターショーじゃねえよな、というくらい派手な姉ちゃんが携帯電話の販促したりしてるのを見ると、下請け会社がどこかわかってるだけに、採用のハードルが上がってんだなーと感じつつお姉ちゃんのフトモモをチラ見したりしてな(^^;

 んでね、カメラスペースを素通りせず、またいろいろ実機に触ってみた。いいね、GX200。大きさも感触も。
 KizaoさんがBBSへ作例を貼らなければ、間違いなくGX200へ走ってる。そのくらい納得がいく手触りであった。しばらく手の中のGX200を眺めてたものね。

 あれこれと触ってみると、やっぱパナLX3は私には無理っぽい。どうにも馴染めないインターフェイスなんである。
 3:2をデフォルトで使えそうな誘惑も、長く写真を取り続けてきた人がすぐ切り替えたい部分に手が届いていない。
 デジタルからスタートしてるメーカーと銀塩から作り続けてきてるメーカーの間には、やはり大きな溝があるように感じる。操作の流れの基本が違うんだよね・・・・。

 でね、なんだかんだでパワショG10か。私はキヤノンユーザーなので、あのくらい操作インターフェイスが独特なボディでも混乱がまったくない。アナログダイヤル操作であっても、体系の思想が他の機種とあまり変わっていないからであろう。
 G3時代と比較すると、ファインダーですでに泣きたくなってくるような派手な歪曲ではなさそうで、なんぼかマシになっているのかもしれない。

 派手にアナウンスはしていないものの、EOSシリーズとキヤノン純正レンズの組み合わせでは、歪曲補正の機能をパソコンのブラウザ側に持たせている。
 パワショあたりでもテキトーなレンズ名を選んで補正効果が得られるのなら、G10をRAWで常用する意味は大きくなるであろう。

 いや、買わないけどね。ちなみにGX200は3万6千円台。LX3が4万前後、G10が4万を切った。当地の家電店ではそれぞれプラス5~8千円の実販だが。
 GRD2は3万7千円台だねえ。このへんが底値っぽい。価格の下落が止まってきた観がある。買うなら今かもしれんよ。

 ところで。私は写欲のなさに我ながらウンザリしているのだけど、それを刺激するいい手を見つけたね。
 読売新聞にはいつも刺激的な投稿写真が掲載されている。それは単なる投稿だったり、世に名高い『よみうり写真大賞』の作品群だったりもする。そして普通に掲載されているカットもさすがに全国紙レベルと感心することが少なくない。
 昔から言われてきていることだが、いい写真を撮りたきゃいい写真をたくさん見ろ、なのである。

 フォトコンテスト誌をまた購読しよっかな。そんな気持ちになっている。ヨソ様の撮った傑作をたくさん拝ませていただく。それに勝る研鑽はあるまい。
 「こんな写真を撮ってみたい」という気持ちは、初心者であった頃、自分が持っていた純粋な気持ちであったに違いない。
 その時点へ回帰すべきではなかろうか。自分に対して素直にそう感じる昨今だったりする。

 でもなかなか本屋に置いてないのよね。そういうセンス研鑽系の写真誌って。デジタル機の解説本と画像処理の紹介本ばっかり。
 カメラ選んだりパソコンでいじくる前に、まず撮らなきゃなにも始まらない。レリーズしたいような場面に自分がたまたま居合わせ、しかもカメラを所持しており、自分のイメージする露出とタイミングでレリーズできたかどうか。
 つまるところ、スチルカメラってのは、それに尽きるのである。ただそれだけの道具。けれども奥が深い。そこに物欲の立ち入る隙間があるあたりに、我々の苦難が存在しているだけのことなのである。

 とカッコ良くキメてみた私。自宅在庫の酒が少ないことに気がつき、家電店の帰りに近所のコンビニに寄ってみたら、あーら今夜は週末じゃないの。夜勤に入ってると曜日感覚をなくしがちである。
 まだ宵の口というのに、コンビニの店内は独特の匂いがしてたよ。飲み屋街の宵の口独特のね。そして期待と不安が入り混じった若者の息遣いが。

 ああ、オジサンはそういうのみんな越えてきてるから。生暖かい目で見守れる余裕がある一方、またああいうトキメキを抱いてみたいものだな、という気持ちがわずかに自分の中にあるばかり、なんとなく嫉妬にも似た気分になってしまうのであった。

 ホント、売れ残りのチョンガーは週末の飲み屋街をシラフで歩いてはいかんよ。おのれの孤独さ加減を再確認するだけだからね。
 過ぎ去った時間は取り戻せるはずがなく、これから訪れるであろう初老の日々になんら潤いなどあるはずもなく。どこまでも乾いた砂漠みてえな人生を突っ走るのみ。

 そういう結果を招く人生を自分は送ってきたのだなと、このところ酔うと反芻するね。いや、ほぼ毎夜酔っ払ってるんだが。

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